“みんなちがって、みんないい”の、その先へ 公開インタビュー「たたみかたのつくりかた」レポート

 シェアスタジオ「旧劇場」の入居者が持ち回りで企画するイベントシリーズ「踊る!旧劇場」。第1弾は、逗子の出版社「アタシ社」の三根かよこさんに、今年4月に創刊した30代のための社会文芸誌『たたみかた』についてお聞きする公開インタビューを実施しました。

 創刊号のテーマは「福島」。哲学や仏教、国際協力、ジャーナリズムなどさまざまな分野の第一線で活躍する人々の言葉で、「正しさ」とは、当事者視点とは何かといったことが語られています。

たたみかた

 <正しさがぶつかり合う世の中で、主義や主張を語る前に、「私」のこの「正しさ」はどこからやってきたのか?を問いかける>というコンセプトで作られた誌面は、とてもパーソナルで、自身も30代でサイレントマジョリティーであった三根さんの脳みその中を探検しているようで。では自分はどう思っているんだろう、これから何をしたらいいんだろうと振り返ってしまう、不思議な作りになっています。

 今回は、読者ターゲット層ど真ん中である主催の私たちに加えて、情報発信や場作り、教育に携わる方、大学生などの読者のみなさんに参加していただき、『たたみかた』の構造の裏側や、新しいメディアのあり方について伺いました。

 末尾には、当日参加者のみなさんに話していただいた感想も掲載しています。

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『たたみかた』の背後にある”思考のステップ”

——まず、『たたみかた』がどんなふうに組み立てられた雑誌なのか、最初にお伺いしたいと思います。

 はい。読者の方から手紙を頂いたり、SNSやブログに書かれた感想を読んだりしているんですが、『そういうふうに捉えてくださったんだな』とか、逆に、『そういうふうに捉えられてしまったんだ』といったケースもあって。今日は直接読者の方とお話できる貴重な場なので、『たたみかた』自体がどういう設計で作られているかというのを、共有できればと思います。

 説明用に少し分かりやすくしている部分もあるのですが、『たたみかた』では、読者がある思考のステップを踏んでいけることを狙っていて。第1ステップは『事象をどう捉えるかということは、共有不可能な個的なことである』ということを認識する、ということなんですね。

 例えば最近だと、ムーニーのオムツのCMで、『ワンオペ育児推奨なんじゃないか?』『なぜ旦那が3秒しか出てこないんだ?』『自分の辛い育児経験を思い出して吐きそうになる』など、SNSでワッと火が付きましたよね。あれは、立場によって『子育てのありかた』についての捉え方がてんでばらばらで。そういう『てんでばらばらな世界を、私たちは生きている』ということに気づかないといけないんです。

 同じものを見ているんだけど、それぞれ違う方向からその事象を切っていくので、無限地獄みたいに、永遠に上滑りし続ける。それを、腹の底から理解する。

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 第2ステップでは、自分が事象をそう捉えるようになった由緒を、深く認識していくというプロセスに入ります。特に、選べなかった「宿命的」な要素にフォーカスするんです。例えば、1980何年に生まれたとか、親、国、出生地、それが抱きかかえている物事。

 例えば、創刊号は「福島」ですが、福島に生まれたということは、福島の産業など、もともと土地に内包されているものごと『宿命』として引き受けざるを得ない。他にも、ここにいる私たち全員、第二次世界大戦後に生まれているから、自分たちの国の過ぎた歴史『太平洋戦争を経験し、敗戦した国である』ということも、選べなかった『宿命』と捉える。こんな具合です。

 その上で、『果たして自分が自分たる由縁から、私たちは逃れられたのだろうか?』と自分に問うんです。私の結論は出ていて『不可避だった』と。そう考えることによって、『他者も同じように選べなかった宿命によって、規定されざるを得なかったんじゃないか』という視点が生まれてくるんですね。

 ここで、嫌いな政治家でも思い浮かべてほしいんですけど……。その政治家がその人になるまでの由縁を、果たして本人はどこまで選べたのだろうか、ということを考えてみる。その思考のプロセスによって、一瞬、一拍、理性的な心のやりとりを行ってみる。それを通して、今よりもずっと寛容になれることを知る。ここまでが第2ステップです。

 この思考のプロセスを経ると、SNSでボンッと何かが炎上しても、それに対して自分がどういう反応するべきか?ということは、自ずと決まってくると思うんです。基本的には「ただ眺める」という感じなんです。セイッて、その論争の世界に飛び込んではいけないんですよね、本来。立場の違う人たちが、どんどんものを言い続ける世界というのは、魑魅魍魎の世界で。一生終わりのない世界に「自分は参戦しない」という選択を取っていく、という話です。

 ここまでの話って、『要は個人主義で良いということですか?』という話につながってしまうことがあるんです。読者の方から『個人というものを尊重している、個人主義を推奨してくれている雑誌である』みたいに書かれているケースもあって。そういうことではない、という訳ではないんですが……。まずは個に戻っていくのは重要です。ただ、そのプロセスがなぜ重要かというと、自分の思考の来歴すらわからないまま、社会に参加している危険性に自ら気づくために必要なステップだからなんです。

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他者との境界線を希薄にしていく

 実は、『たたみかた』は台割の構成上、2部制になっています。勘が良い方には伝わっていると思いますが、漫画より前の部分は福島の話が多くて、漫画の後からは、一気に概念的な話になっています。

 「自分がなぜ自分であるか」ということを認識した後に、続いての第3ステップでは「で、私たちはどうしたら良いか?」ということを考えていくことになります。自分が自分たる由縁というものを外していく、透明にしていくということができないか?というのが、このプロセスでの試みです。

 こういう複雑な世界を、私たちはどう乗り越え、合意形成を成し遂げていくことができるのか。ステップ1、2で止まってしまうと、みんな違ってみんないい、的なところで思考の天井にぶつかってしまう。そうではなく、今よりも“より良く生きる”ための在り方とはどういうものなのかを考えなくてはならない。そのロールモデルとして、後半の3名(桑子敏雄さん、藤田一照さん、永井陽右さん)には出ていただいています。

 そもそも、なぜ自己を透明にしていかないといけないの?というところなんですが。「透明な状態」は「器のない状態」、つまり「全部ある」という状態に言い換えられると私は思っていて。境界線がないから、そこに全部あるということなんですね。これは一瞬スピリチュアルな話に聞こえるかもしれませんが、そうではありません。論理を積み重ねた先に他者との境界線を人間はどこまで希薄にしていけるか?という話なんです。

 その先に、はじめて“本当の共感と、寛容”というものを手にすることができるのではないか。それこそが、たたみかたの仮説なんです。先ほどお名前を挙げた3名は、そういう視座に到達しているんじゃないか?と思い、会いに行きました。もちろん、私はまだそこに至っているわけではないと思っているので、自分がこの域に達していないと自覚しています。

 あらゆる偏見や、コンプレックス、宿命的な要素をどんどん剥ぎ取っていった先で、もう一度、生き直す。その上で、新しい自分として、社会にコミットしていく。

 その自分がコミットすべき事象というのは、その域に達した時に初めて見えてくるものだから、まだ私も見えていないかもしれない。『たたみかた』は主張がないと言われるんですが、『これを読んで俺はどうしたらいいの?』という問いに対しての答えは、読んでいる“あなた”にしかわからないと思うんです。

 私には私にしかできないことがあって。みなさんにはみなさんにしかできないことがあるということ。これって、希望ですよね。『One of them』な自分ではなく。自分にしかできない役割というものが、こういう思考のプロセスの先に見出せたらいいな、という願いが込められています。

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「白か黒か」で生きていない人を探すのが難しい

——この設計作業が、まず大変だったんじゃないかなと思うんですが、どういうプロセスで進められたのでしょうか。

 実際に本として束ねた時点では、ここまで明確に説明できるようになっていた訳ではないんです。でも、なんとなく、自分が読める社会派系のメディアが本当になくて、何を読んでもずっとしんどい状態が続いていて。じゃあ、何でしんどいんだろうって、3年くらいずっと考えていて。その日々の中で「この人は、白か黒かといった『判断の世界』で生きてないな」っていう人を探し続けていました。その中で、桑子さんにも出会ったし、一照さんや、永井さんにも出会ったんです。人選が本当に難しかった。

 私は福島に友達も親族もいないし、由縁もないけれど。東京のせいで起きた事故だ!みたいな声を見つけては、どこかで責任を感じていたので、1号目は福島にしたいなと思っていたんです。ただ自分がやるときは、被害性や加害性によって興味を持たせるのはやめたいなと思ったんですね。

 例えば、東京の電気を作てきた結果、福島はこうなったんだ、みたいなことを言われる東京の人間の気持ちというものは、あまり語られることはなくて。『気づかぬうちにお前らは加害者になっていたんだ』ということを突きつけて、当事者性を持たせるというやり方はちょっとしんどいなと思ったんです。なぜなら、私たちが東京周縁に生まれたことも選べなかった宿命だから。震災の責任を問われる場所に生まれた東京周縁の人間の宿命というのも、ちゃんと扱っていきたいというのがあって。

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——編集部のような形も最初は考えていたそうですね。

 『たたみかた』を作る過程で、人を怒らせちゃうことがけっこうあって(笑)。

 ある編集者と話しているときに、ここまで私が話したようなことを伝えると、『貧困の人に同じこと言えるんですか?』って言われたんですよね。そういう人に『宿命だ』とか言えるのかよ、みたいな。それを聞いた時に、『ああそうだな』って素直に思いました。要は「あなたの宿命なんだから、あなたがそれを乗り越えなさい」といった、自己責任論に聞こえる人はいるだろうな、と。そうすると、怒りの感情を生み出してしまうこともあるだろうなぁ。その言葉に打ちのめされて、創刊自体を辞めようという話になったこともありましたね。

——でも『たたみかた』の内容は、キレるどころか、緊迫感のあるやりとりではないですよね。誌面でも紹介されている、東浩紀さんと開沼博さんの往復書簡のような、バチバチやっている感じではないというか……。

 社会的な問題をもっとこう、鬼気迫る感じで、バチバチやるべきだ!こういうぬるいのはイカン、みたいな感想もありましたね。他にも『怒りが希薄な編集長』みたいな。まぁ、確かに良くも悪くも、色々と希薄なんだろうなぁとは思っています。

 でもですね。ここまで説明してきたステップをきちんと辿れば、バチバチの世界にいれないんですよ。バチバチしている方たちのことを勇敢だなとは思いますが、一方で、それに苛まれてきた人もいると思ったので。『たたみかた』はそういう人のために作ったんです。誰しもが論争を見て『ほほぉ〜』と言いたいわけではないと思うので。

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ニュートラルな人の、活躍の余地

——そういう考え方、目線で物を作ろうと三根さんが思ったのは、自分の生い立ちや立場も関係しているんですか?

 “ベッドタウンキッズ”って呼んでいるんですが……、ベッドタウンで育った30代、土地に対しての意識が希薄な人をコアターゲットとして据えているとのはありますね。自分もベッドタウンに生まれて、土地に対しての愛着というのがないんです。自分の街を「おらが町」と思ってないというか。親の代がそこに移住して、家を建てて、そこに生まれた2世といった感じで。

 あらゆるものに対してちょっと希薄な人っていうのが、逆に活躍できる余地があるような気もしているんですよね。希薄であるほど、ニュートラルになりやすい可能性も。もちろん、それを必ずしも好ましく思っていないですが。自分が『たたみかた』を作る由縁を考えると、そういう希薄さが、これを作らせしめたというのはあるのかなと思います。

——私は逗子の出版社ということでアタシ社を知ったので、そういう土地に対する希薄さというのを伺って、けっこう意外でした。誌面にも、鎌倉や葉山の方が登場しているし、地域のつながりは活かされていますよね。

 そうですね。そこに住んでいたから繋がりができちゃってる、ぐらいの感じですね。だから逗子じゃなくても良いっていうのが、夫婦共に強いんです。一つの場所に愛着をもつ良さもあるけど、それに対しての恐れみたいなものも、強くあったりして。

——福島出身とかだったら、考え方も変わりそうですね。

 違ったかもしれない。自分の宿命が違ったら、私の動き方も全然違ったと思います。でも、それはもう、絶対に経験できないので。『もし私が福島出身だったら』みたいな仮定自体に、あんまり意味がないというか……。本来的に置き換え不可能なものだと思っています。それを前提にしながら、そういう人間の断絶を超えていきたいと思ったんです。

 『福島出身じゃないから福島はどうでもいい』ではなくて。自分の内側から自然と『福島が抱える問題は、私の問題だ』と思えるほうがいい。加害性を突きつけられる形ではなくて。

 例えば、哲学者の桑子さんは自然や風景を哲学観点から見つめ、地球はコモングラウンドとして捉えているんですよね。だったら福島の問題は、私たちの問題だよねと考えている。そういう思考がほしかったんですよね。一つの場所を借りて、そこに自分たちが住んでいるだけ。その中で、自分が生まれ落ちた国が、海の生態系を壊しているんだ。そういう意識を持つことで、福島に自分が興味を持つことにつながるんじゃないかなと。すっごく回りくどいんですが、『東京の電気を作っているんだ!』と言われるよりも、そっちの方が、『なるほど』と私は思えたんです。加害者だからとかではなくて、もっと自然に、メタ的に『福島の問題は私たちの問題だ』と理解したかったんですね。

——何回も福島に足を運んだとのことですが、毎回どのように行き先など定めていったんでしょうか。

 震災後、仮設住宅のおばあちゃんと話したり、津波でぐっちゃぐちゃになっているところを見に行ったりしていたんです。でも、それをいくら見ても、我がごとにならない感じこそが、強烈だったんですね。ただ折り重なっているだけで、中に入れない感じというか。『ああ分からないや、分かり得ないや』というのがあって。もちろん、悲しい話を聞いたら、『すごく辛かっただろうな』というような共感はあるんですが。聞けども聞けども、じゃあ明日から私どうしよう、みたいなものに転換できなかったというのが長く続いて。ということは、これ以上、現地で被災された方に会っても、もう変わらないかもしれない。そんな思いが、『たたみかた』を作らせたんですよね。

——通い始めた当初から、何か特定の手伝いをしに行くということではなくて、本当に話を聞きに行くという感じだったんですね。

 そうですね。現場の支援も大切ですけど、問題を生み出す根源みたいなものが知りたいタイプなので。自分の “支援”が何に繋がるのかということに対して、かなり逡巡してしまうタイプで。体一つですぐに現場に行ける人っていうのは、嫌味とかではなく、本当にすごいなと思っています。だからといって、すぐさま現場に飛んでいけない人を責めるのも違うし。むしろ、そういう人たちの想いを抱きしめたい、という思いはずっとありますね。

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読んだ人に、自分語りをしてほしい

——『たたみかた』は、読んだ人が、自然に自分の震災のときのことなんかを語りたくなるメディアですよね。そういう読者とのコミュニケーションは、かなり意識して作られたのでしょうか。

 『たたみかた』を読んだ結果、自分語りしてほしいと思っているんです。自分語りっていうとなんとなく嫌な感じですが、そうではなくて、「私」の物語の中をみんな生きてほしいし、むしろ、それしか生きられないと認識することで、逆に風通しは良くなる。「私」の特異性、特別性というのはちゃんと認めていく。「大勢の私」ではなくて、固有の世界を持った「私」っていうのがいて。今は、そういう固有の「私」の世界が、他者の「私」の世界とぶつかってしまっている。ぜひ読んだ後、まったく新しい見方で「私」の世界を泳ぎ回ってもらえると、良いなと思います。それが一番うれしいです。

——ぶつかるリスクというか、いろいろ言われることも含めて背負って、自分を出すということって、すごく勇気がいりますよね。

 『よく福島特集をやったね』とは言われます。さっきから言ってるように、自分ならではの役割を探していたんですよね。『たたみかた』を通して、世の中の空気を柔らかくしたい、ものを言えなくなっている人たちの心を解放したい。なにより自分が解放されたかったんでしょうね。なので、めちゃくちゃ点検はしています。なるべく人を傷つけないように、何度も。それでも不安ですね。

 一照さんが言っていた「You are not part of the solution but part of the probrem. (お前はソリューションどころか問題の種である)」って、すごく厳しい言葉じゃないですか。良くなると信じて、みんな生きているのに、いつのまにか誰かを傷つけているかもしれないなんて。人間ってままならないですよね。

——私も『たたみかた』を読んで頭の中にワーッていろいろ浮かんできたんですが、SNSで一気に思いの丈を書いたところで、それは誰かの中傷になっていないかなってすごく考えてしまって。感想を投稿してくれている人は、すごく勇気がある人なんだなと。

 うれしいです。『たたみかた』を読んだ結果、SNSで『何かひとこと書いてやろう』という気持ちを点検しようとするだけでも、すごく大きい。誰かを傷つけるかもしれなかった言葉が1つ世界から消えるということはすごいことです。ささくれた言葉をタイムラインに載せて、誰かがそれを見て、嫌な気持ちになる……、これこそが、一照さんの言う「分断を生む言葉」だと思うんです。1人のそういうちょっとした心のアクションが変わるということの重さを忘れたくないんです。

——必ずしも、『読んだらみんな発言しようよ』とは言っていないんですね。

 そうですね。自分が言おうとした言葉の由緒を、どこまで自分で認識出来ているかというのが、すごくキーになるので。『黙ってた中間層よ、口を開け』とは全然言ってないんです。黙り続けたって良い。むしろ答えの出ない世界の中で、漂い続けている状態というのが、人間の姿としてベストな姿なのかもしれないという仮説でやっている部分もあるので。

 この本がきっかけになって誰かの明日からの言動が少しでも良い方向に変われば私はすごくうれしいし。

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今後の展望

——今後の事をお聞きしたいと思いますが、次号の特集ももう決まっているんですね。

 はい、次は「男らしさ、女らしさ」という特集を予定していて、もうなんとなく骨の部分は考えています。発行は年明け3月までを目指しています。

 この間のムーニーのCMなんかも、「男らしさ、女らしさ」である程度語れる話ですよね。要は、家族のあり方とか、共同体のあり方、経済のあり方なんかを複合的にいろいろ話さないといけない。あれが、ワンオペだからNGとか、『男が出てこない』という断片的な話ではなくて、『なぜこういう議論が巻き起こるの?』ということが、複眼的に見ないといけない。そうじゃないと、永遠にこういう炎上シーンが再生産されてしまうから。

 そういう家族の問題や、使うかわかりませんが、美しさや醜さ、老い、そういったものも入れていこうかなと。

——今回も、福島に直接つながる人だけではなかったので、今後、どういうテーマの選び方で、どういう人が登場するんだろうというのもなかなか想像がつかなくて、気になるところです。

 現段階では見えないですよね。でも、福島のことを語るときに、今日の話を通して聞いてもらうとわかると思うのですが、帰宅困難とか放射能が云々っていう雑誌になるはずがないというのは、わかっていただけるんじゃないかなと。そもそも、そういう話を直で語ってきて、固くなっている世界があって。じゃあ、何で空気が固くなっているのか?というところから問いを立てたんです。

 そうすると『なぜ人間は争い続けるのか』ということこそが、イシューとして気になってくるんですよね。自分が生きているうちに、どうしたら収拾できるんだろうと。そのために、自分にできることの一つとして『たたみかた』を作っているので。今後の特集も、自分が切実に辛いなと思っていることをやっていくしかないですね。

 前にラジオに出演した時にお話したんですが、『たたみかたでは、沖縄特集はやらないんですか?』と聞かれて。私は、沖縄についてはわからないことがまだ多すぎるので。沖縄やりますと決めて、そこから、リサーチを始めるというのは違うかなと思っているんです。今、自分が切実な問題からやっていって、いつしかそれが沖縄に到達する日が来るかもしれない、という。それは、『今ではない』という判断をしています。

——それができるのは、自分で作っているからこそですよね。

 すごく伝えたいことがあれば、みんなメディアをやったらいいと思います。まあ、1人でやっていたら辛いので、人は増えると思いますけどね。本当に共感してくださる方がいたら、編集協力などで入ってもらいたいなというのは思っています。その時に、『すごい共感します』という人だけではなくて、真逆な人もいたほうがいいかもしれないし、自分の編集部の生態系をどう作るかみたいなことは、考えないといけないですね。

 30代と作りたいなとは思いますが、70代の人も『すごい面白かった』って電話をくれたりするんですよ。手紙もたくさん頂いていて。私が40代になったらこれは40代のための文芸誌になるのかもしれないし。ちょっとわからないですが、それはその時に考えつつで。興味ある方がいれば、お声がけください。

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~参加者のみなさんの感想~

1:僕は39歳で、ギリギリここにいていいのかな、と(笑)。デザイナーでもいらっしゃるので、すごく考えて作られていて、とてもポップな見た目の雑誌だと思うんですね。でも、さっきステップ1から3というお話をなさっていましたが、そこに込められているメッセージというのは、「仲間になろうぜ」じゃないですよね? やっぱり自分の足で立ちなさい、と言う話で、自分で発見していくプロセスの起点に、この雑誌がなればいいですねってことだと思うので。『たたみかた』信者になるのもちょっと違うんだろうなと思っているんですよね。柔らかいけれども、ある意味すごく厳しいメッセージを発している雑誌でもあるなというふうに思っています。毎号毎号、そのときの自分なりに考えて、自分の中でリアクションしながら、自分も少し変わっていけるような形だったらいいなと思っています。

2:福島特集ということで、けっこう見て見ぬふりをしている自分の感覚を突きつけられるようなものなんじゃないかと正直思っていました。ただ、そこから震災に直接結び付けるのではなくて、生き方やその先というのを、自分自身考えるきっかけになったと思います。今日話を聞いて、もっと読み込んで、いろんな角度の考えがあるという部分をもうちょっと考えて次を楽しみたいかなと思っています。

3:感想はしっかり読んでからまた伝えさせていただきたいですが、今日のお話を聞いていて、わざわざ人を傷つける言葉を言わなくても良いんじゃないか、少し悩んでから考えるという時間も大切なんじゃないかって。今までそういうふうに、言葉を紡がずに黙っていた人たちに、響けばいいなというのはすごく刺さった部分ですね。

4:私の自分の中の大きなテーマが「多様性」で、自分の経験から、自分の価値観や常識というものが、自分が持っているものでしかないというのが、すごく頭ではなくてこの辺で感覚としてあって。白黒じゃなくて、引いて考えるという部分はすごく共感して、今も話を聞いて、グルグルしていて、まだ感想はうまく言えないんですけど。私は瞑想をやっているんですが、自分を透明にしていくというところが、自分という概念を解いていくみたいなところなのかなと考えつつ。もう一方で、自分の生まれとか、三根さんがおっしゃっていた宿命というのを、私は引き受けて、そこから他者と話したり出会ったりしていくのかなというところもあって、その2つが私の中でまだ、矛盾のようになっていて、その辺をもっと聞きたいし、個人的に三根さんとお話したらすごい楽しいだろうなと思いました。

5:感想を言うのも難しいというか、考えさせられるという本だったなというのが一番で。漫画の部分から最初に読んだんですが、あの部分だけでもすごく考えさせられました。言葉に対する向き合い方、僕らが発する言葉というものの重さというか、影響力、そういう部分を改めて考えさせてもらいました。

6:この本のインタビューの仕方というか、聞き手の在り方、質問の仕方が、意見をぶつけ合うというよりは、寄り添って、同じ方向を見ながら話を聞いて、同調する訳でもなく受け入れているなという感じで。すごく心地良かったというか、それをある意味、自分にも当てはめながら考えないと進んでいかない、そういうスタイルが良いなと思いました。

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7:大学で、ちょうど多文化社会を考えるという授業を持っているので、どんなふうに学生に考えてもらったらいいかといったヒントになりました。全然年齢も違いますが、目指しているものがすごく一緒の方だなと思っていて、授業の中に、こういう考え方を取り入れたいと思っています。対立を生まない対話の手法というか、もっと問いかけることによって、相手がなんでそんなふうに思うの?そんなふうに世の中を見ているの?ということの、本当に根本のところがわかるような手法というのは、授業でも取り入れて、大学生が身に付けられたら良いなと思うので、どんどん学生に読ませていきたいと思います。

8:僕は都市計画を専攻しているんですが、『たたみかた』という題名に非常に興味を持ちました。なぜかというと、都市計画のトレンドで、しばらく前から、「都市をたたむ」という表現がずっと使われているんですね。さらっと読んで、あと今日の話を聞いて、都市や街を見るための教科書になるんじゃないかと、本当に思っています。教科書は何かを語るための前提になるものだと僕はいつも思っているんですが、都市とか街って、非常にマクロなものだけど、非常にいろんな人がいて、他者をまずミクロなレベルで理解しないといけないと思っていて、その点では、非常にミクロとマクロを行き来するような学問だと僕はいつも捉えています。どうしても都市計画とかそういう中だけで議論すると、例えば、都市を小さくするためにいかに駅前に人を集約するかとか、そういう政策論的な話に終始してしまって、人が誰であるかとか、人に共感することを、考える機会ってあんまりないなというふうにいつも思っていて。その点では、一番最初にステップ1から話していただいた、自分を外していって、本当の共感を探していくという作業は、真に都市や街を理解するために非常に必要なことかなと、大変興味深く伺いました。

9:正しさがぶつかりあう、という言葉にすごく魅かれて来ました。身内でちょっとそういうことがあったんです。兄弟で、2人ともちゃんとしたことを言っているのに、絶縁みたくなってしまったんですね。それで、気になって、お話を聞きに参加しました。ありがとうございました。
(三根:政治の話から家族の話まで、全部に当てはまりますね。)

10:私はまだ20代で、もうすぐ30代になってしまう中で、友人と、30代って一体どんな感じなんだろうと、飲み会とかでも熱く語り合うんですね。そういうときに、この雑誌を今度持って行って、みんなで熱く語ってみようと思います。
永井さんの記事の中で、永井さんの話を聞いた「わたし」のリアクションというのが、とても魅力的だなというふうに思いました。永井さんの話もすごく魅力的なんですけど、その話を受けて、いろんな感情とかを心の中に浮かべたり、考えたりする、このわたしという人の魅力というか、パーソナリティで、この本がすごく魅力的になっているんだなとすごく思いました。
(三根:めちゃめちゃうれしいです。)

11:スマホや、ウェブとかTwitter、Facebookから、日々大量の情報を消費している中で、自分はどうなんだっていうことを問うことって本当に忘れがちになっているなと改めて気づかされて、個に帰るということを大事にしたいなとすごく思いました。この雑誌を作られるきっかけが、しんどさから始まっている話をされていましたが、何か社会の事を考える上で、どうしてもバチバチに寄っちゃっているというのが、すごく不幸だなと思っていて。周りもそのしんどさゆえに考えることをやめちゃっているという人も、すごく多い。なので、こういうポップな手に取りやすい感じで、それほど情報量も多くなく、程よく自分が考え始めるスタート地点に立てるような設計になっているというのが、すごく良いなと思いました。

12:三根さんと同い年なんですが、ちょっとこれすげーな、本人に会わなきゃなって思って来てみて、本当に良かったです。最近、ヘイトスピーチのことや、ジェンダーのことなど、モヤモヤしていることがいっぱいあるけど、自分の立ち位置から言うことが、あたかも他の人の傷つけているような、自分に居場所をくれ、ということが、誰かを押しのけているような感じになっちゃっている気がしていて、それが嫌だなと。じゃあどう発信できるんだろうというヒントに、この本や今日の三根さんの話がなってくれた気がしています。

13:大学4年生です。私は地方出身で、地方の自分の出身地に対する愛もあるけど、確かに今だと、思い入れのない人たちっていうのもいっぱいいるし、そういう人たちの立場を考えることがあって。
私は多文化社会学部なので、多様性や異文化理解に興味があって、今までの自分の考え方だと、多様な個人がいる世界という考えで止まっている部分があって、そこから思考が先にいかなかったんですね。その突破口というか、そこからもっと進んだ考え方が、この雑誌を通してできるんじゃないかなと、今回のお話を聞いて思いました。
(三根:難しいですね。多様性ってなると、多様性を認めない人の多様性はどうするんだ問題が出てきますもんね。差別する人の多様性はどうなんだみたいな話って、絶対出てくるというか、難しいですよね。)

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写真:加藤甫