街の記憶と集合知 - 黄金劇場をWikipediaに

普段仕事をしていて、良かったなと思える場面は、人それぞれあると思います。私の場合は、たとえば、記事で紹介したお店やイベントの主催者の方が、「記事を見てお客さんが来てくれました!」と嬉しそうに報告してくれた時。それから、記事が配信先のYahoo!のトップページに載って、めちゃくちゃアクセスが集まったり、SNSでたくさん反応があったりした時。そして、もう一つがウィキペディアのページに、記事が引用されているのを発見した時です。

その瞬間瞬間での広報的な役割を果たした後も、アーカイブとして半恒久的に、誰でもアクセスできる状態で記事を残してくれる媒体に書くこと、そしてより多くの人がリファレンスとして参照するウィキペディアにその記事が使われることで、自分も歴史の一員になったような気がするからかもしれません。

世界中の誰でも編集に参加できるウィキペディアは、千差万別の境遇を持った人たちの、多様な関心や思いによって、奇跡的に作られています。この旧劇場も、職能も性格もまるで違う9人の、いろんな思いや条件が重なって、奇跡的に生まれたんだな、とつくづく感じています。そんな成り立ちが居心地が良いのは、どこまでいっても、そこにあるのが「自分ごと」で、説得力があるから。人からお金をもらって、その人のために作っているものではありません。そんな説得力を持ったコンテンツを、まわりの人を巻き込みながら、この場所、この地域と紐付けた記憶として、残していきたいと考えています。その記憶を歴史とつなげるとっかかりとして、まずはこの場所のことを、ウィキペディアに登録してみました。

「誰でも編集に参加できる」といっても、一体じゃあ誰がやっているんだというくらい、ウィキペディアを実際に編集したことがある人って、まわりにいないものです。どういうキーワードなら載る価値があるのか、どういう情報が必要あるいは不必要なのか、ちょっと見ただけでは把握しづらいし、多くの人には、ネット上の便利なサービスの一つに過ぎないのかもしれません。私も学生の頃から数回編集してみましたが、毎回内容に自信は持てず、これでいいのかなと試行錯誤しています。大前提として、「多様な参加姿勢が受け入れられ」、「不完全な記事を、共同編集作業を通じて磨き抜かれた記事へと向上させることができるという利点があり」、「不完全な記事を投稿することも歓迎されるべき」場なので、まずは編集してみて、その記事がどんな風にほかの人によってブラッシュアップされていくか見守るのが、醍醐味なのだと思います。

ちょっとさわってみれば、仕組み自体は、ブログやSNSに書き込むのと同じくらい簡単です。まず、編集したいページに行き、えんぴつのアイコンまたは[編集]をクリックします。アカウントを作成するか、そうせずにIPアドレスを公開して編集するのどちらかを選びます。

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ここでは、まず、〈黄金町〉〈施設〉の項目に、〈黄金劇場〉を追加します。記号の使い方などは、ひたすら既存のものを真似します。

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次に、編集画面からページに戻り、〈黄金劇場〉の項目をクリックすると、そこにページができています。今度は、ここに文章を足していきます。

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同じ〈施設〉の項目にあった〈横浜日劇〉の内容を参考に、内容をコピペして、編集することにしました。

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情報には、必ず参照元を明記します。

変更の過程は、すべて記録されているので、その後内容が変わっていたときも、どんな風に編集されていったか見ることができます。私が二年前に作った新港ピアのページは、数人に更新され、いつの間にか充実していました。黄金劇場のページを作り上げていくのは、今でも旧劇場を訪れることのある黄金劇場のファンかもしれないし、迷惑していたにせよファンだったにせよ、近隣の住民の方かもしれませんし、街の歴史に興味を持った人かもしれません。

近年各地で、観光振興施策や住民のまちづくりへの参加の仕組みとして、ウィキペディアが活用されています。ここ横浜でも、街歩きワークショップなどが行われました。今後も街中を取材していく中で、そうした動きにも貢献できるといいなと思っています。